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キリストは住まわれるの結果

復習

シリーズを始めたとき、私たちの中心となる箇所から、キリストが私たちの内に住むことが、彼との親密さを伴うものであることがわかりました。

こういうわけで、私は膝をかがめて、天と地にあるすべての家族の、という呼び名の元である御父の前に祈ります。どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により力をもってあなたがたを強めてくださいますように。信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。

エピン人への手紙 3:14-19

この親密さに入るためのいくつかの手段として、次のようなものを見てきました。

  1. 口頭の賛美と礼拝
  2. 聖書を黙想する
  3. キリストを見つめる
  4. 告白と悔い改め

この手段を使って、あなたはキリストとの親密な関係に入るための個人的な時間を持っていますか?そうした時間の中で、ますます「キリストの愛がどれほど広く、長く、高く、深いものか」を理解しつつあると思いますか?知識を超えたこの愛を知っていると感じますか?神の満ち満ちた豊かさで満たされていると感じていますか。

もし「はじめに」セッションを行っていたなら、そのときのこれらについての感じ方を書き留めたかもしれません。それから何か変化はありましたか。

異なる反応

もしあなたの経験が期待していたものと違ったとしても、どうか落胆しないでください。神は私たちを皆それぞれ異なるように造られました(そうでなければ、どれほど退屈でしょう)。これらの実践は、私たち一人ひとりに異なる影響を与えるのです。ツールは決して皆に同じ結果を保証する公式やレシピではありません。

神の御霊は一人ひとりの心に働きかけ、キリストがそこに住まわれるようにしてくださいます。そして同じ御霊が、私たちが神の愛を感じる力も与えてくださいます。私たちが神の愛を経験する方法は、神が私たち一人ひとりを独自の方法で造られたとおりに異なります。

信仰

キリストとの時間に深くつながりたいと望むたびに、私たちは信仰を働かせています。それは、神がその御霊によって私たちの内なる人を力強くしてくださり、キリストが私たちの心に住まわれると信じているからです。エペソ書3章には、神がその強めを行ってくださると書かれており、私たちは神が約束されたことを実現されると信じて行動しています。

では、これまでの全セッションを追ってきたあなたは、ここからどこに向かうのでしょうか。

変化

キリストが私たちの内に住み、私たちがその愛を経験するとき、変化は必ず起こります。

内面で起こっていることが外側にも現れるような変化に気付いたことはありますか。

バプテスマのヨハネは、キリストが近づくときに起こる変化を理解していたようです。

あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。

ヨハネの福音書 3:30

この節は、イエスの到来に備えるというヨハネの特別な働きの文脈で述べられていますが、イエスが私たちに近づくときに私たちの生活で起こることをも表しています。古い自分は、破壊的な習慣と共に消え去り、私たちの中のキリストがますます増していきます。キリストが多くなり、古い自分が少なくなることで、時間が経つにつれて目に見える変化が現れるはずです。

「キリストを見つめる」セッションからのもう一つの節は、この変化について語っています。

私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

コリント人への手紙 第二 3:18

イエスと共に過ごし、心の関係を深めていくと、私たちは彼に似た者へと変えられていきます。

この変化はどのような姿をしていると思いますか。エペソ人への手紙3章14-19節があなたの人生に現れるとき、何が目に見えて異なってくると思いますか?

キリストの愛から私たちの愛へ

ヨハネの第一の手紙は、キリストが私たちの内に住んでいることの証拠についていくつかのヒントを示しています。

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。

ヨハネの手紙 第一 4:19

キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解していくとき、私たちはその愛に応えたいと望むようになります。私たちは神様に愛を示したいと思ったり、この愛を他の人に伝えたいと思ったりするかもしれません。まずは、神様への愛について考えてみましょう。

神様に対してどのように愛を示せるでしょうか。

神様を愛する

ヨハネの福音書によると、イエスは神への愛を、神の命令に従うことと関連付けています。

もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

ヨハネの福音書 14:15

また、ハネの手紙第一は神の命令を守ることについてさらに教えています。

もし私たちが神の命令を守っているなら、それによって、自分が神を知っていることが分かります。

ヨハネの手紙 第一 2:3

私たちが神の命令を守っているのがわかるとき、それは神への愛の表れであり、私たちがキリストを知っている証となります。

しかし、どの命令を守るべきでしょうか。すべての命令でしょうか。神の命令とは何でしょうか。

この点で圧倒されないように、イエスが何を言っているかを見てみましょう。

愛の命令

福音書には、イエスがどのように生きるべきか多くの指示が記されています。しかし、ヨハネの福音書15章では、イエスが私たちに一つの大きな命令を与えています。

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

ヨハネの福音書 15:12

私たちは皆、愛するようにと召されていますが、同じ方法である必要はありません。それぞれが神のユニークな創造物であり、神は私たちが異なる方法で愛するようにお造りになっています。私たちが神を求めるとき、神は私たちが他者を愛するための具体的な方法を示してくださいます。

ヨハネの福音書21章で、教会のリーダーであるペテロにそのように示されました。

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」

ヨハネの福音書 21:15

ペテロには、間もなく誕生する教会を教え、導き、養うようにと特別に命じられました。私たちもまた、神に、他の人々をどのように愛するように望んでおられるのかを個別に尋ねることができます。

コリント人への手紙第一は、そのような愛がどのようなものかを描写しています。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、 不正を喜ばずに、真理を喜びます。 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。

コリント人への手紙 第一 13:4-7

今少しの時間を取り、神があなたをどのように造り、何を心に与えてくださっているかを考えましょう。そして、神があなたに他者を愛する方法について何か示してくださるか、待ち、耳を傾けてみてください。神は、他者への愛を通してどのようにご自身への愛を表現できるのか、何を示してくださっているでしょうか。

イエスと四六時中の交わり

さて、シリーズもほぼ終了に近づきました。これまでのセッションで、キリストとの親密さを深めるために、ひとりで彼と過ごす時間にできることについて学んできました。そして今回のセッションでは、キリストとの親密さが深まることで何が起こるのかについて見てきました。

締めくくる前に、個人的な黙想の時間を超えて、日常生活の中で心にキリストが住まわれることについて触れてみましょう。

日常生活の中でキリストが住んでいる姿とはどのようなものでしょうか?友人や家族と過ごしているとき、仕事や勉強、通勤、その他の活動に取り組んでいるときに、意識的に心の中にキリストが住んでいることを感じることは可能でしょうか?それはどのような姿でしょうか?今の自分の状態から、どのようにしてその境地に至ることができるでしょうか。

もちろん、道を歩いているときや誰かと話しているとき、神を意識していない時にでも神がご自身を示されることはあり得ます。しかし、それが通常ではありません。私たちが継続的な交わりを目指すならば、エペソ人への手紙3:17の信仰を日々の生活の中で実践することで、その目標により早く到達できるでしょう。

コロサイ人への手紙には、その継続的な住まいを励ますためにできるいくつかのことが示されています。

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。

コロサイ人への手紙 3:1,2

「上にあるものを求めなさい」「上にあるものを思いなさい」という言葉に気づきましたか?私たちは心と思いを上のものに向ける行動を促されています。それは、キリストご自身に心と思いを向けることも含まれると言えます。

A.W.トーザーは、魂がキリストに対して絶え間なく内側に視線を向け続けることについて語っています。「キリストを見つめる」というセッションで学んだように、私たちはキリストに目を向け続けます。違いは、それを神とのひとりの時間だけでなく、日常生活の中でも継続的に行うことです。

パウロも「絶えず祈りなさい」と述べた際、このような生活スタイルを示唆していたのかもしれません。

いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

テサロニケ人への手紙 第一 5:16-18

難しそうに感じますか?確かに自然にできることではありませんが、時間をかけて少しずつ学ぶことができます。古い習慣を断ち、新しい習慣を身につけるには、長期間にわたる根気が必要です。

皆さんは日常の活動を通じて神とつながることに関して、どのような経験がありますか。個人的なデボーションの時間を超えて、日々の中で神と共に歩むために、実際に役立っていることは何でしょうか。

シリーズの締めくくり

これで「キリストは住まわれる」シリーズの終わりになりますが、皆さんにとって「キリストは住まわれる」体験がここで終わるわけではありません。このシリーズが、神の御霊があなたの心を強め、キリストが宿る場所を意識的に提供するという、人生を通じた実践の始まりであることを願っています。

いつでもこの教材に戻り、デボーションの時間のための実践を思い出すことができます。また、静かな時間の中で、サンプルとして提供されている実践資料を使い、再び心を整えるきっかけにするのも良いでしょう。

「キリストは住まわれる」が皆さんにとって役立ったと感じたなら、ぜひ友人とシェアしてください。さらに、友人たちと一緒にグループで集まり、キリストにある兄弟姉妹としてこの経験を共有してみてはいかがでしょうか。